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MBC開局70周年特別番組ラジオドラマ『朝はあけたり~決死の密航 奄美日本復帰を伝えた男たち』

1953年12月25日。海を越え、奄美復帰を命がけで全国に伝えたふたりの放送人がいた―

ギャラクシー賞選奨受賞を記念して再放送!

日時
2024年7月27日(土)
午後6時~

ポッドキャスト

Introduction

奄美復帰記念祝賀会(名瀬小学校・53年12月25日)

奄美復帰記念祝賀会
(名瀬小学校・1953年12月25日)

1953年10月10日、鹿児島で初めての民放ラジオ「ラジオ南日本」として産声を上げたMBCの70年は、奄美群島日本復帰70年の歴史と重なる。

終戦後の1946年2月、奄美群島は米軍の統治下に置かれ日本本土への渡航が自由にできなくなり、基幹産業である黒糖や大島紬などの販路も失われて群島住民の生活は困窮した。

日本復帰を強く願った住民は、一丸となって署名活動や断食活動を行い、1953年12月25日、ついに奄美群島の日本復帰が果たされた。

MBCはまだ開局して2か月ほどだったが、8年間の米軍統治から解放された復帰の日の喜びをいち早く伝えたいと、当時の局員2人が奄美に渡って復帰当日の記念祝賀会を生中継し、さらにその模様は全国にも中継放送された。

奄美群島日本復帰70年、そしてMBC開局70年の今年、当時の人々の喜びの声、そして使命感を持って報道にあたった2人の局員の想いを届けようとラジオドラマを制作。本格的な制作は23年ぶりとなる。

MBCの資料室に残されている70年前の音源や資料を基に奄美での取材も経て、鹿児島出身で日本アカデミー賞優秀脚本賞受賞の飯田健三郎さんが脚本を書き上げ、同じく鹿児島出身の竪山博之さんが演出を手掛けた。

そして、奄美にルーツがある恵俊彰さん、奄美で役者を志した迫田孝也さんが当時の局員を演じ、奄美の唄者・元ちとせさんが語りを担当。
鹿児島で活動する役者やMBCアナウンサーも出演している。

70年前に復帰祝賀式典で歌われた復帰の歌「朝はあけたり」をタイトルにし、当時の音声や証言も綴りながら、奄美群島の歴史や先人たちの想いを未来に語り継ぐ60分。

Story

奄美復帰特番の中継スタッフ1953 復帰の喜びを全国にラジオ中継する放送局員
(名瀬小学校・1953年12月25日)

70年前の1953年12月25日、奄美群島が日本復帰の日を迎える。
米軍の統治下にあった奄美群島が日本に返還されることは島民にとっての願いであった。
多くの人々が一丸となって行った署名や断食などの復帰運動・・・その強い思いが実り、ついに日本復帰が果たされたのだ。

「ラジオ南日本」が開局したのは、その年の10月10日。
8年間の米軍統治から解放される島民の喜びの声を「いち早く伝えたい」と2人の放送局員が立ち上がる。
しかし、正式な渡航許可は間に合わず、奄美大島に渡る手段は密航しかなかった―

使命感を持って報道にあたったアナウンサーの岩橋健正と技術課長古川満雄、そして、彼らの報道を支えた奄美の人々や家族を取り巻く情熱のドラマを、MBC資料室に残る当時の音声も織り交ぜながら12月25日の“復帰の日”に、お届けする。

キャスト


有馬局長 … 久世 恭弘

古川 志津 … 松本 雪乃

岩橋 ゆかり … 大森 陽

泊 博正 … とめ 貴志

有馬局長久世 恭弘
古川 志津松本 雪乃
岩橋 ゆかり大森 陽
泊 博正とめ 貴志

北島 餃子

吉直 潤太

野口 あおい

宇都 駿将

児玉 俊和

TOMOYA

堂満 太一

桐原 叶多

竪山 実花

向井 千紘

岩﨑 弘志

上野 知子

岡田 祐介

城光寺 剛

豊平 有香

古川 廣生

中村栄子事務所

スタッフ

サウンドプロデューサー
種子田 博邦
音楽協力
持橋 知行
録音
かしわプロダクション
取材協力
あまみエフエム・奄美市・花井 恒三
協力
永井 洋仁・西田 安輝子
企画
切通 啓一郎・平川 智宣
ディレクター
後藤 剛
プロデューサー
岡田 祐介
総括
丸山 健太郎